隣にあるアンドロメダ星雲は
いつか、我々の銀河系と衝突するらしいです、その時に、何がどう起こるかはまだ、誰も分からないようです。広がり続けた宇宙はその後、広がり続けるのか、再び縮んで行くのかもまだ分からないようです。何れにせよ、私たちが生きている間のことではありません。数十億年さきのことです。だからといって、全くわからない宇宙に我々は生きているわけです。解る必要はない先のことだから、それより日々の生活が大事だろ。
父は天体望遠鏡で星を見る私に、君な、星を見ても、飯はくえないよ、と言ってました。それは、そのとおり、星を見て生活できるのは本当の宇宙物理学者等です。私には無理。続く。
相撲みて、一端寝て復活
大体、あたりましたが、はずれもありました。ところで、彼がんなことする訳はない、医者の診断書もおかしい、脳震盪は頭を打った直後に起こる。私も何度か経験していますが直後です。では、つぎに本論。
かつてのメモです。2008/05/05
地球に有限の事象しか起こらないことが宇宙が有限であることの証左
無限は直観できないから有限のふちを拡げることが人間のできること
だから、人間は無限を切り取り有限の事象として知覚する。そして、有限の縁を限りなく無限に広げ続けることはできる。が無限に到達はできないし、直観することもできない。ただ、無限を目指し思維することに人間の存在意義がある、即ち「大宇宙に対峙する人間存在」である。
2008/05/05
朝の書き込みと関連します。
カミュと言えば、まずは、異邦人。
高校時代に読み衝撃的でした。朝の書き込みの後でその事を考えていました。結局のところ、私は、私を異邦人の様な人間と感じている。私は全くの日本人ですが。W県の母の実家の寺で産婆さんに取り上げられました。
世界が、何となく自分としっくりとはまらない、みたいな感じがいつもある、それは病的なものではない、なぜなら、社会生活はこなしている。考えて見ると、人は皆、人とは違う。それが、普通なのかな、とも考えました。でも、大宇宙に対峙する人間存在、みたいな考え方が、出てくるのはあんまり、ないよな、とも思いました。
次に私の約、10年前の手帳を公開します。
反抗、アルベール・カミュ、
サルトルと最期まで論戦をして、自動車事故で死にました。
『反抗的人間』とかで一人の人間が反抗を続けた時、私はそのひとを偉大であると考えるみたいなことが記されていた、と覚えています。
ここまで、私の書き込みにお付き合い頂いた皆様には御理解頂けるとは思いますが、大宇宙に対峙する私、単車乗りは不良だと決めつける社会、そんな、常識的なことに反抗し続けてきた、私がいます。
しかし、私は、サラリーマン精神科医、組織のために働かなければならない。ですから、そんな、自分をどう変えれるのかが、私の今後の課題ですね。
昨夜の書き込みを一部改変して、再掲しました。朝の書き込みではないですね。誠に申し訳ございません。