二度目までの不渡り手形を

出すまでにも、父は、チェックライターを打ち続けました。ガチャン、ガチャン、家の一階で打つ音は、二階で寝ている私の耳にも届いていました。破滅への音です。結局、父は、実質的には、商売不能になりました。その後は、悲惨な生活がありました。家も売り払い、借家へ引っ越す事にもなりました。

私は、六年前、大学教授を辞める事になりました。経営陣とのいさかいからです。私は、どこでも雇われる精神科医と自認していましたし、そこには不安はありませんでした。でも、これからの働き方を考え直さないとと葛藤を抱え続けていました。

それが、第二夜の説明でした。

では。