淡い想い出の名残り 27

まぁ、今日は、これでしょうね。母の85歳の誕生日に寄せて。うちの病院の電子カルテ導入後、最初の入院患者は、母でした。約5年前。妹が連れて来ました。少し厳しかったかも知れませんが、医療保護入院(強制入院の一形態、判断は有資格者の私。まず、全国的にも例は無いと思いますが。)暫らくして、自分の意思の任意入院に切替え、退院。今の施設に居ます。私は、毎日ブログのプリントを持って行き、毎週、診察しています。精神科的な診療の原則からは明らかに外れた原則外です、が根拠はあります。

で、お母ちゃん、妹が産まれる前からの記憶が僕にはあるで。幸せそうに、産まれる子を慈しみながら、編み物をしていた姿、物干し竿に頭で宙ぶらりんの僕を驚いて見ていた。三輪車で追いかける僕を振り返り、振り返り見ていた、小学校受験のために每日ドリルを見てくれていた。小学校になるとパパの少し行き過ぎのしごきから守ってくれた、パパはあんたに期待してるから、叩いてる、何クソ!パパに勝つぞ位の気持ちで努力する!大怪我をすると、病院に連れて行ってくれた、手先も器用にと夜毎、一緒に工作をしてくれた。中学、高校ではやんちゃもんだった僕のために先生から、呼び出されては謝ってくれていた。父の仕事の借金のために奔走していた、家を売らなければならなくなった頃の混乱、苦悩。両親共に意に沿わない結婚をし、できた、002を如何に慈しみ、支えてくれたか。僕は忘れては無い。それと、いつも、僕の文章、褒めてくれるけどな、パパとお母ちゃんの素養、土台の上にあるものと思って感謝してるねんで。で、故あって、今の施設で85歳の誕生日、僕にできる事は、細やかだけど、まぁ、この位で堪忍してな。取り敢えず、おめでとうございます。

ってとこですかね まる