淡い思い出の名残り 33

私の父は主にタオルを扱っていた。泉佐野市が当時は国産一番だった。時には、生地を買い付けてきて、その縁縫い、ヘム縫いという作業もしていた。母も。教職のない時にはずっと。最初は足踏み式ミシン、途中から、電動。御歳暮シーズンには、進物用に、箱折作業、タオル折、箱詰め、袋入れ等など一家総出で作業。私は小学低学年、そんな作業、大嫌いだった。ある日、嫌や!せーへん!大体、野口英世のお母さんだって、自分は女手一つで農作業をして、英世が手伝おうとすると、お前は、しなくていい、勉強しなさい、とゆーてたやん!だから、僕はせーへん!両親、母方祖母からもひどく叱られました。

続く。