淡い想い出の名残り おいしくない仕事

三十年前、3ヶ月だけ、研修し、母校の病院から、先輩の誰もいない香川県の病院に出向となりました、2.5年、従って、同期の中では、私だけが救命救急の研修を受けていません。普通は、1年でもどります。高松の病院、四国で1番旧い精神科病院でした。指導医の副院長は、厳しい人でした。あんたには、まだ、処方は、無理ジャケン!毎日毎日、採血してしてしまくり。そして、受け持ち患者様の処方変更も許されませんでした。私の担当する統合失調症の女性の患者様の一人、お風呂の時間になると、嫌なので、うまく、雲隠れして、3ヶ月以上お風呂に入っていませんでした。ある日、看護婦から、この水虫見てあげてください!酷い!爪にまで、白癬菌が、爪白癬でした。私が爪を切り、外用薬を塗布。毎日毎日、処置をしました。あのぅ、臭かったですよ、処置後は、鼻から足の水虫の匂いが一日取れない。&なかなか治らない。同じ靴下はくし。ある日、思いつきました。密封療法。処置後、ビニール袋を足に、その上に靴下を。効果抜群でした。治りました。後に、実際、密封療法があることを知りましたが、私は独自にあみ出した訳ですね。この、独自技の開発、今も続いていて、だからこそ3種もあるんですよね。副院長は、実は、学術的にも、かなり出来る人でした。処方も許され、採血も、合格じゃといわれ、いろんなことを任される様になり、奈良へ、大阪へ帰りました。何をいーたいか?辛い、おいしくない、仕事、修行を経て職人になってゆけるものだ、なけりゃ、駄目だ!とゆーことですね。私は今も修行中と思い、職に向かっています。