私の10年前 これも車窓にて書き始めた

私は鈴鹿国際大学(現鈴鹿大学)の教授だった。私は大学教員になりたいと云う夢を叶えた訳だ。この一年にした講義は90分だけ。翌年以後からの準備期間だったから。教授会は、アホ丸出しだった。学園経営が苦しいから、ボーナス出ないだの出せだの、金の事ばかりだった。しかし、私は三重県こころの健康センター所長を辞し。一年、臨床的感を取り戻しつつあった。働き詰めに働いた、働いて感を取り戻していった訳である。