私の35年前 深夜の自宅にて

私は大阪府民のまま、奈良県立医科大学医学生、先の見えない青年であった。空手は弱かった。多分技は冴えていた、しかし、試合となると相手の顔が怖かった、殺意丸出し、引いた。モトクロス、エンデューロレースは勝ちまくりであった。23歳。父の商売は破綻寸前。そのために買ったばかりの750は売った。残ったオフロードバイクでレースに出た、すると勝ちまくり、私は自らの知らなかった才能に目覚めた。そしてその才能に溺れた、過大な自己評価、レーサーとしての。現実を、プロを目指す子ども達のシビアな闘争心を後に知る事になるが、まだ、知らなかった。自身のレーシングスピリットを信じていた。医学生としては、殆ど失格、しかし、全然関係無い、自然科学書哲学書は深夜まで読みふけっていた。それが、今に至る布石とは、考えてもいなかった。医師となれる自信も無かった。他の道、例えばレーサーとか、模索していた。そんな23歳頃であった。