先ほどの遊牧民の話の続きですが

当時、私が一番辛かったことは、家庭を失った事以上に、可愛い盛りの息子と毎日会えない事でした。当時は4MB位のメモリーのノートパソコンに息子の写真を入れて持ち歩き、毎夜スライドショーを見て、寝ていました。更には、息子が小学校二年生の時に突然、三重県に赴任になりました、二時間は片道でかかりました。しかし、私は、奈良のマンションから、通勤を続けました。何故なら、まだ、父親を必要として、頼っている年代、毎日、帰ってお父さんは、近くにいるよ、感覚を持って欲しかったからです。意義はありました。二度、駅で私を待つ息子の姿がありました。どうした?いじめられた・・・どうしよう?相談にのりました。それだけでも、通勤の意味はあったと思っています。