淡い想い出の名残 3

大阪の南部から、徳島に向かうフェリーの甲板に佇んでいた。7月の終わりの夜。風は涼しく私を包んでくれていた。船の後部デッキ、航跡に波立つ海を見ていた。緑色に波間が光っている、発光性のプランクトンのはずだな・・・にしても何故、僕が、先輩もいない病院に派遣されるの?こうなったら、モトクロッサーを積んでいって、一クラス上の国際B級にでも、上がってやる、近畿よりは、上がり安いらしいし。デッキの下には、安物のバンの中に最新型のモトクロッサーが積んであった。学生時代に諦めていた、上のクラスを狙う!・・・それより、精神科医としての修行が優先!当たり前!

徳島港について、高松に向けて、バンで走り始めた、四万円のバンなので、クーラーも付いてない。さすがに、夜でも暑いなぁ。高松に着いて、仕事と生活が始まった。まず、気難しそうな、40代の副院長が僕の指導医に。僕は29歳。まだ、あんたには、精神科の処方は任せられんけん、まず、毎朝、患者の採血から、修行じゃ。で後は、診察だけすればえーけん!薬は触るな!はい!言われるままに、毎朝採血・・・これ、医者の仕事?と葛藤はあったが、こなした。休日の食事、カツ丼が食いたい!と思い、市内を歩き回った、うどん屋が山程ある!驚いたことに、うどん屋にはうどんとうどんにのせる天ぷらが色々並んでいる、でカツ丼?普通、関西ならうどんと丼屋は同じ。が、高松はうどんしか置いてない!仕方ない。うどんを食べた。何?これ?硬い!こんなん食べとんのかい、ここらのもんは?まぁ、讃岐うどんですね。しかし、だんだんと、毎日、うどんを食べないと気が済まないようになった、うどん中毒ですな。朝、回診の途中に病棟を廻ると、看護婦詰所で呼ばれ、休憩室に。先生、これ、たべまい!うちたてじゃけん!と言ってうどんに醤油をかけて出してくれる、えーっ朝からうどん?それも、醤油かけて?まぁ、これも旨かったですが、カルチャーショックでした。私は学生時代から、パチンコが好きで、負けてばかりでしたが、し続けてました。高松でも、同じ。学生時代とは違い軍資金はできた。ある、金曜日の夜、最後の百円まで負けてしまいました。アパートに帰り、月曜日まで、どうしよう?金を借りたいけど、知人もいない!酒?安いウイスキーが瓶の底に1cm程、すぐ、なくなり、眠れない!どうしよう。 あ!薬屋からもらったサンプルの睡眠薬、飲んだら1日寝てられる強力なの!飲み、次の日の昼に目覚めて、鏡を見ると唖然。だらーんとして、外に出れない顔!どーしよう?まぁ、両親に電話して宅急便で一万送ってもらい、しのぎましたが・・・アホ丸出しでした。精神科医としての修行は副院長、しっかり知識のある人で、色々指導を受け、何とか使えるレベルの精神科医のスタートを切りました。モトクロスは、絶対昇格できるはずでしたが、予期せぬ出来事があり、マシンは売りました。(結婚ですね)高松の海、瀬戸内海、海といえば波が激しく海岸を打つイメージでしたが、えーっ、これ、海?さざ波しかたってない!まぁ、そんなこんな、風土にも馴染み、2年半が過ぎ、帰る、12月が来ました。かの地を去るに辺り雪が降っていました。あんなに、戸惑った土地と別れる、何故か私は、目頭があつく、そして、去り、大学に戻りました。しかし、私の精神科医としての基礎はそこで得たものが多い、だから、淡い想い出、となるわけですね。