百舌鳥・下市古墳群、仁徳天皇陵がなぜ堺に?

私の頭の中では明確なストーリーが、直ぐに出来ました。倭健命は三重で崩御。その魂は白鳥となり故郷の大和(桜井)に帰る。そし
て更に西に飛び大阪、河内、和泉付近を舞い、更に西に飛んで行った。倭健命の息子は仲哀天皇。いかにも哀しい名前。父の死を悼む名前。彼はね、父を追い、堺付近に到達、そこに皇室の土台ができたんですよ!多分ですが?
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