回顧録みたいな感じになってしまいました。
読み飛ばしてください。長い文章にもなってしまい反省しています。
が削除はしません。自省録の面もありますので。
母は知っていました。 中高時代、例えば北回帰線とか、その他猥褻文書、タバコの吸殻とか親には知られたくない物品、普通にゴミとして透明のゴミ袋に入れられないものの捨て場所。思いついたのが屋根裏。 近年、親族からきき知ったのですが、母は知っていた!とゆーことは父も同じ。夜中に忍んで父のセブンスターの箱から数本抜きとり、2階の自室の石油ストーブで火をつけてました。ん?なぜかなぁ?タバコがなくなるのが早いと父はよくボヤいてたことも近年知りました。いずれにせよ、警察官は高校には黙ってくれましたが僕の身を案じ(逃走中、電信柱の金具で腕に傷を作ったので。)自宅にTEL、母にはその時点で第三者を介して知れ、父には高校で生徒指導の先生に捕まり、自分から言いました、受験用にと新しい家具調こたつが着いた日で、そこに、父を呼び懺悔。父曰く「君はなんて恥ずかしい男なんだ!」もう、この頃には殴られませんでしたが。父も既に知っていた筈です。高校は地域では一番の岸和田高校しか受けさせてくれなかったし、現役では、落ちるに決まっているのに東北大を受けに仙台迄行かされました。要は自分を安く見積もるな!忍!とゆーことです。だから、僕は決して自分を安く見積もりません。自己肯定感は強。まぁ64年生きてそれが仇となったり、救いとなったり色々です。この5年間の後退からも脱せそうですし、その間、持ちこたえてくれた身体をくれた両親には感謝しています。父にその気持ちを伝えたくても居ません。その分、母には!という気持ちはあるのですが気持ちだけです。が、生きててこそ何よりの親孝行とひとり思っています。
