超訳 モンテーニュ「中庸の教え」
015 状況は変えられないのだから自分を変えよう
逆境にいたとき、きみはどんなことをしただろうか?
苦しい境遇や、危険な状況に陥ると、わたしたちはどうにかしてそこから逃
げ出すことばかり考えてしまうものだ。
だがわたしは、そのような状況に置かれても、逃げることに心を傾けないよ
うにしている。というのも、出来事のほうは調整できないからだ。調整できる
ものはただ一つしかない、それは自分自身だ。
与えられた運命をかわしたり、振り払ったり、押し伏せたりする力は、わた
しにはない。ましてや、そのようなものに耐え続ける力もない。
状況がわたしたちに順応することはない。だったら、わたしたちが状況に順
応してしまおう。
036 人生に必要なものは自分自身だけだ
きみにとって、人生に必要なものはなんだろうか?
仕事だろうか、家だろうか、肩書だろうか、名声だろうか、収入だろうか?
わたしたちの人生は、複雑になり過ぎている。
きみの人生に必要なものは、ただ一つ。そしてそれを、すでにきみは手に入
れている。
そう、きみ自身だ。
わたしも、わたしだけで充分だ。そうすると、わたしの人生とわたし自身が
ぴったりと合わさるじゃないか。
足りないものなど一つもない。どんな人生にだって欠けているものなどない
んだ。
わたしも、わたしだけで充分だ。そうすると、わたしの人生とわたし自身が
ぴったりと合わさるじゃないか。
足りないものなど一つもない。どんな人生にだって欠けているものなどない
んだ。
040 勝ち負けよりも、戦ったこと自体に価値がある
きみは勝ちにこだわるだろうか?負けて悔しいだろうか?
敗北にとらわれてはいけないぞ。
それでいい。だが、勝利にまったくひけをとらない敗北があることを知って
いるだろうか?
そうだ、勝利とは戦いそのものにあるんだ。試合に勝つことや、目標を達成
きみは、戦ったじゃないか。
040 勝ち負けよりも、戦ったこと自体に価値がある
きみは勝ちにこだわるだろうか?負けて悔しいだろうか?
敗北にとらわれてはいけないぞ。
それでいい。だが、勝利にまったくひけをとらない敗北があることを知って
いるだろうか?
そうだ、勝利とは戦いそのものにあるんだ。試合に勝つことや、目標を達成
きみは、戦ったじゃないか。
多くの人が踏み固めた道を行け
雨の泥道をきみはどのように歩くが
わたしは、人が歩いていないところは選ばない。一見、きれいなままで残さ
れているようだが、そこは滑りやすいところでもある。きれいな表面の下にな
にが隠れているかもわからない。
わたしは、すでに多くの人に踏まれているところを選ぶ。
「そんなところはぬかるんでいて足がめり込むよ」と二の足を踏むかもしれ047 多くの人が踏み固めた道を行け
雨の泥道をきみはどのように歩くが
わたしは、人が歩いていないところは選ばない。一見、きれいなままで残さ
れているようだが、そこは滑りやすいところでもある。きれいな表面の下にな
にが隠れているかもわからない。
わたしは、すでに多くの人に踏まれているところを選ぶ。
「そんなところはぬかるんでいて足がめり込むよ」と二の足を踏むかもしれ
067 不幸はきみをたくましくする
きみに突然の不幸が襲ってきた。
賢いきみは、きっと、自分を脅かした不幸を記憶にとどめ、原因を探り、二
度とそのような不幸が起こらないように細心の注意を払うだろう。
それは、怒りに似た熱狂な状態と言えるだろう。
だが、わたしは思う。
そんな情念の炎は、きみの顔を醜くしてしまう。
067 不幸はきみをたくましくする
きみに突然の不幸が襲ってきた。
賢いきみは、きっと、自分を脅かした不幸を記憶にとどめ、原因を探り、二
度とそのような不幸が起こらないように細心の注意を払うだろう。
それは、怒りに似た熱狂な状態と言えるだろう。
だが、わたしは思う。
そんな情念の炎は、きみの顔を醜くしてしまう。
067 不幸はきみをたくましくする
きみに突然の不幸が襲ってきた。
賢いきみは、きっと、自分を脅かした不幸を記憶にとどめ、原因を探り、二
度とそのような不幸が起こらないように細心の注意を払うだろう。
それは、怒りに似た熱狂な状態と言えるだろう。
不幸はわたしをたくましくする。不幸はわたしをしなやかにする。そうなっ
てしまえば、不幸は不幸でなくなる。
不幸はきみだけに許されているのではない。
皇帝の一生だろうが平民の一生だろうが、位などには無関係にわたしたちに
はあらゆることが起こりうる。そういう点で、皇帝も平民も同等なのだ。
不幸はわたしをたくましくする。不幸はわたしをしなやかにする。そうなっ
てしまえば、不幸は不幸でなくなる。
不幸はきみだけに許されているのではない。
皇帝の一生だろうが平民の一生だろうが、位などには無関係にわたしたちに
はあらゆることが起こりうる。そういう点で、皇帝も平民も同等なのだ。
075 運命のほうがきみに導かれている
わたしたちは必ず死ぬ。当たり前のことだ。だが、死の受け止め方はさまざ
まだ。
死と同様に、健康・権威・学問・財産などについても、わたしたちはさまざ
まな受け止め方をする。
わたしたちと外的なものの関わりは、そんなものなのだ。
外的なものをどのように受け止めるかは、わたしたち次第なのだ。
ということは、わたしが幸福であるか不幸であるかは、わたし自身にかかっ
ているだけだ。
きみにとってもまた同じことだ。
いつかきっと、運命のほうがきみ自身に導かれていることを実感する時が来
るはずだ。
わたしたち自身の熱によることと同じだ。
富も、名誉も、健康も、あらゆることに、きみがどのような喜びを与えるか、
それだけのことだ。他の人がそれらをどう思うかなんて、まったく関係のない
ことだ。
ああ、わたしは思う。
財産も名誉もほどほどでいい。心配も苦労もせずに、持っているものだけで
満足できるような人間でありたい。このような人こそ、最高に幸福なのだっ
わたしたち自身の熱によることと同じだ。
富も、名誉も、健康も、あらゆることに、きみがどのような喜びを与えるか、
それだけのことだ。他の人がそれらをどう思うかなんて、まったく関係のない
ことだ。
わたしたち自身の熱によることと同じだ。
富も、名誉も、健康も、あらゆることに、きみがどのような喜びを与えるか、
それだけのことだ。他の人がそれらをどう思うかなんて、まったく関係のない
ことだ。
ああ、わたしは思う。
財産も名誉もほどほどでいい。心配も苦労もせずに、持っているものだけで
満足できるような人間でありたい。このような人こそ、最高に幸福なのだ。
081 不幸は考え方次第で不幸でなくなる
きみは、幸福を求め、幸福だけ自分のもとへ来るように祈っているかもしれ
ない。
だが、不幸もまた、きみの同意を通してしかやってこないのだ。
わたしたちは、ものそれ自体によってではなく、そのものについて抱く考え
によって苦しめられている。わたしたちが不幸と呼ぶものは、それ自体、不幸
でも苦痛でもないし、なんでもないものなのだ
そこに意味を与え、反応するのは、わたしたち自身なのだ。
運命はわたしたちに、材料しか与えていない。それに形を与え、味をつける
のはわたしたち自身だ。
だからこそ、わたしはきみを激励したい。
不幸がきみの同意を通して入ってくるものならば、それをくるっと幸福へと
反転させることができるじゃないか?反転させるとまではいかなくても、性質
を変えることくらいはできそうじゃ
か?どうだろう?
だれの中にも立派な心がある
立派な心には、あらゆる可能性がある。
それは、すべてのことに対して開かれているのだ。
立派な心は持ち主も選ばない。職業や家柄にかかわらず、だれにでも開かれ
ている。
立派な心は相手も選ばない。どんな相手にも、どんな状況にも開かれている。
きみにもその心が備わっていることを信じられるだろうか?
きみが今、どのような人物であっても、光を発する心があることを疑っては
いけない。今は、その心が厚い雲で何重にも覆い隠されていても、決して疑っ
てはいけない。必ず太陽はきみの中にもあるのだ。
109 判断とは正しい答えを出すことではない
わたしたちは、常に判断をしている。いまこの一瞬も、判断し選択している。
ということは、わたしたちの判断力はあらゆることに適用され、あらゆると
ころに関係しているということになる。
きみは思っているかもしれない。「いつも迷いなく正しい判断をしたい」と。
まず、きみに伝えておこう。
判断力とは正しい答えを出すことではない。その一歩がたしかかどうかは、
一歩踏み出してからようや わかるのだ。判断とは試み続けることだ。
わたしはあらゆる機会を利用し判断を試みる。試みること自体に意味が
その結果はそれほど重要ではない。
遠く離れたゴールを見ようとするから、判断ができなくなってしまう。そん
なものにとらわれていては、一歩も踏み出せなくなってしまうだろう。わたし
の足もきみの足も、一歩ずつしか進めない。その一歩を重ね続けることで、よ
うやく判断が定まってくるのだ。
110 先へ進めないときは引き返せ
きみは、先へ先へ進まなければならないと思い込んでいないか?
そんなきみだからこそ、伝えておこう。
判断力の一番大切なはたらきは、「先へ進めない」と知ることだ。
きみは川にさしかかっている。ずいぶん前から、川の様子を探っていたこと
だろう。そして、きみの前を歩く者たちを参考にするだろう。
だが、じっさい川に入ってみたら、そんなものはたいてい当てにならないことを思い知らされるだろう。
だろうか?
きみの背丈ときみの脚力では先へ進めないとわかったとき、きみはどうする
溺れるな。
引き返せ。
未知に対して謙虚であれ
たとえもし、きみがどれほどのことを知っていたとしても、たとえそのすべ
てが真実だとしても、未知と比べたら無以下のものでしかない。
人間の最高の知識をもってしても、とてもみじめで狭いものでしかない。
どれほど立派な国家をもってしても、同じことだ。
どれほど素晴らしい発明があったとしても、同じことだ。
何かを知るたびに、わたしたちはそれが奇跡だとか、稀有なものだとか。
がちだが、奇跡や稀有なものは自然にはなに一つとしてない。
ただ、わたしたちの知識にとって、そうあるだけだ。
きみは、学び、知り、選択していかなければならない。
きみがいたずらな結論を出さないように、わたしは祈ろう。未知には謙虚に
頭を下げようじゃないか。
探求に終わりはない
きみは探求しているか?
わたしたちの探求に終わりなんてない。 老いも若きも、みな探求し続ける。
偉大な先人が、二度と越えられないような高貴な知を見つけ出していたとして
も、それは思い違いだ。
どのような知にも必ずその先がある。
きみはなにに驚くだ か?きみはなにに喜ぶだろうか?
探求は驚きと喜びを糧にする。ほら、きみの探求はすでに始まっているじゃ
ないか。
探求には形式もなく、限界もない。臆することはない、不規則に目的もなく
永続的にきみの精神は探求し続けている。きみはきみ自身の探究心を解放して
やればいいのだ。
しかも、探求の精神は、互いに呼応し、互いに活気づけ合うものなのだ。
探求は驚きと喜びを糧にする。ほら、きみの探求はすでに始まっているじゃ
ないか。
探求には形式もなく、限界もない。臆することはない、不規則に目的もなく
永続的にきみの精神は探求し続けている。きみはきみ自身の探究心を解放して
やればいいのだ。
しかも、探求の精神は、互いに呼応し、互いに活気づけ合うものなのだ。
130 自分自身が哲学のテーマだ
きみにとって哲学的なテーマとは、なんだろうか?
人間か?国家か?自由か?それとも恋愛か?
わたしの場合、形而上学のテーマも、形而下学のテーマも、わたし自身でし
かない。つまりわたしは、自分自身で、自分の哲学をするのだ。
哲学者たちはわたしたちを法則や原理に立ち返らせてくれる。これはまった
く正しいことだ。しかし、そのような原理は、わたしたちが自分自身で哲学するための養分にしかならない。
哲学とは自分がどんなに無知かを知ることだ
一つの知識はきみになにをもたらすだろうか?
たしかに、知識が利益を運んでくることもあるだろう。まちがいなく、地位
や財産にもつながるだろう。だが、そんな利益が足元にも及ばないもっともっ
と大きな「利」がある。
わたしにとって最高の「利」は、自分を知ることだ。無知でしかない自分を
知ることだ。
わたしの知力なんて、完璧にはほど遠い。わたしの理解力だって、しばしば
自分を裏切ることがある。哲学しながら、わたしはこんなことを学んでいる。
わたしがつまづいたこの石は、わたし自身だ。わたしの歩き方がいかに不安
定で危ういかを教えてくれる出会いだ。
きみは自分の愚かな行動に気づいたか?それは立派なことだ。だが、ことは
まだまだ序の口。どんどん哲学していこうじゃないか。きみの知力が深まり、
理解力が高まるほど、自分が無知な存在であることを学べるはずだ。
複雑な哲学など役に立たない
複雑で厄介な哲学は捨ててしまおう。 単純なものを選ぼうじゃないか。
哲学は覚えるものではない。哲学を正しく扱えるようにならねばならない。
扱う人を選ぶような哲学は、わたしたちを病気にしてしまうだろう。徹夜で
節制について勉強する者は、節制していると言えるだろうか?
アリストテレスも、弟子を育てるのに、テクニックを弄する論理を用いるこ
とはなかった。勇敢や寛大さや節制についての教えを自ら実践することで、
時間をかけながら弟子を導いた。
哲学は、シンプルであるに越したことはない。
どんな人間も死という運命からは逃れられない
どんな賢人といえども、どんな偉人といえども、しょせんは人間に過ぎない。
これほどの無常があるだろうか?
どのような智慧をもってしても、わたしたち人間に定められたことを曲げる
ことはできない。
きみは、殴られそうになったら思わず目を閉じてしまうだろう?
賢人だってそうだ。
彼らも、緊張すれば、汗をかいたり、舌がもつれたり、声がかすれたりする。
絶壁の縁に立たされたら、だれだって震えずにはいられないだろう。
自然は、こんなところに、偉大な力のわずかなしるしを残しておいてくれた
わたしたちの死すべき運命と無常は、どんな智慧をもってしてもどうしよう
もないことを、自然は、奥ゆかしく示してくれている。
大事なことは、死ぬということで、死に方ではない。
死んでからのことを苦にする人もいる。
自分が死んでからのことなど「苦」になるはずはない。死んでからのことは
あきらめてしまうのがよい。
大事なことは、死んでからのことではなく、今、生きているということだ。
わたしは、わたしの死が、わたしの生を裏切らないようにしてやりたい。だ
からわたしは今を精一杯、生きる。
死は大事な任務だ
死ぬこともまた、わたしたちに与え れた任務なのだ。わたしたちにとって、
最も大事な任務だ。
世の中にはさまざまな任務がある。それらの任務遂行のために、わたしたち
は何度も予行演習をして、本番に備える。
でも、死ぬという任務を果たすための予行演習なんて、できるはずがない。
なぜなら、死ぬことは一度しかできないからだ。
が、死に対してわたしたちは無力なのかというとそうではない。
そうなのだ。死においては、だれもがみんな初心者なのだ。
こう考えてみたらどうだろう。
?ても、死への道筋を行き来することはできるようになるだろう。
から、死を認めてしまおうじゃないか。すると、死と一体化することはで
たしたちにとって、死は有用なものだ。
死ぬことで不幸になった者は一人もいない
生きることは幸福だ。同じように、死ぬこともまた一つの幸福なのだ。
もし、自然がわたしたちに「死」を持たせなかったら、どうなってしまうだう?
きっと、自然を呪ったことだろう。「なぜ、死なせてくれないのか」と。
さて、これまでもこれからも、死ぬことで不幸になった者は一人もいない。
続きありますが 機器の不調でアップ
困難できません 大事はところはので 図を示します 誠に 申し訳ございません


