ニーチェの言葉 Ⅱ 再編 1
00 待たずに進め、生きろ!
きみはどうしていつまでもそこで佇んでいるのか。何を待ち続けているのか。
遠いところから誰がやってくるというのか。
いつ来るかわからない幸せを、そうやって呆然と立ち尽くして待っているの
か。あるいはいつの日か、神や天使が現れて祝福してくれるというのか。待ち
続けてさえいれば、誰かが今の苦境を奇蹟的に救ってくれると思っているのか。
しかしそれでは、きみは待ち続けるだけで人生を終えるだろう。すべきこと
は、きみがもう一度強く生き始めようとすることではないか。
しかも、この瞬間、そして次の瞬間、自分なりに最大の充実をもって最高の
自分を生ききることではないのか。
『生成の無垢』「ツァラトゥストラによせて」
m貧しい生き方をするな
きみは強く大胆に生きとおす人だと思っていた。
それなのに、実際はどうだ。小さなことに腹を立てたり、くよくよ悩んだり
さらには、できるだけ安全に生きようとして、今では節約や平穏が美徳の一
種だと考えるようになってしまっている。そういう生き方はあまりにも貧しくはないか。
『生成の無垢』「道徳哲学」
1 苦悩は生きる力を汲み出す
苦難や苦悩をなるべく減らそうとし、我が身をそういう苦しさからできるだ
け遠くに置こうとするのは、結局のところ、自分が持つ生きる力を弱めること
にほかならない。
耐えがたい苦しさを通じてのみ、人は自分の能力を高めることができる。苦
悩することによって、最高の生に達する道が通じる。岩壁を這いながら山の頂きを目指す者のように。
『生成の無垢』「道徳哲学」
衰えの魅惑
遠くに霞みながら沈んでいく陽光。 柔らかく肌に触れる空気。たそがれどき
の静けさ。誰もが慰められるようなやさしい風景。
こんな夕暮れの魅惑に染まっているかのような知的な老人がいる。あたかも、
人間として完成したかのような。
しかし、その独特の枯れた雰囲気やベルベットにも似た物腰の柔らかさは、
ひょっとしたら精神の老いがもたらしている衰弱のあからさまなしるしかもし
れないのだが。
『曙光』
2 ひとり砂漠を進め
きみよ、歩みを止めるな。
やっとここまでたどりついたと安心して後ろを振り返るな。もっと前へ進め。
後ろに誰もいないからといって、仲間や友人たちの姿がもう見えなくなった
からといって、自分独りしかいないからといって、おじけづくな。
ここまで来れたのはきみしかいない。しかし、到達したのではない。まだ途上だ。さらに進め。かつて誰も歩んだことのないこの道を進め。
砂漠はまだまだ広いのだから。
『曙光』
自分の足で進め
すでに誰かが確立した道をたどるな。
せんだつ
誰か先達の流儀、誰かリーダーの導きのままに自分を合わせていくな。
自分の道を行け。ただ茫漠とした中に自分の道を広く築け。そして、自分を
自分自身が導いて、堂々と進むがいい。
『悦ばしき知識』「たわむれ、たばかり、意趣ばらし」
いつ死ぬかわからない
死にかけている子供には好きなものを与える。今まではその子の健康のため
に禁じてあったものでさえも。なぜなら、その子はもうすぐ死ぬかもしれない
からだ。
わたしたちも同じかもしれない。 よく考えてみれば、わたしたち自身もまたいつ
死ぬかわからぬ身ではないか。
『生成の無垢』「比喩と形象」
人生はさすらいだ
人生はさすらいだ。生きるということは、さすらっていくことだ。
平野をさすらうだけではない。いくつもの険しい山並みを越えていかなけれ
ばならない。漆黒の闇を渡り、沢の水で足を濡らし、冷えた星々の下を行かな
ければならない。
多くの出来事がそこにあり、さまざまなことを体験するだろう。しかし結局、人はいつもおのれ自身を体験するだけなのだ。自己という人間を体験することが人生なのだ。
『ツァラトゥストラはかく語りき』 「さすらい人」
苦しみは人生からの贈り物
人生にはつらいことが起きる。悲劇も起こる。しかし、苦しいからといって
自分は運が悪いのだと思わないでほしい。むしろ、苦しみを与えてくる人生を
尊敬するようになってほしいのだ。
いったいどこの軍の大将が、吹けば飛ぶような弱い一人の敵兵にわざわざ強
い兵をそろえた一個師団を差し向けようか。
448 目標をあきらめるな
自分が選んだ道に奮励努力する人は多い。
ところが、自分の立てた目標に到達するために頑張る人は少ない。いつのま
にか、目標を遠い過去のことのように懐かしく眺めてしまう人があまりにも多
い。
『人間的、あまりに人間的』
自己を超えた目標を持て
きみは、きみの目標をどこに置こうとしているのか。
誰かの目標を真似ているのか。あるいは、少しだけ頑張ればすぐに手が届き
そうな場所を目標としているのか。もしくは、ファンタジーに満ちた目標を思
い描いているのか。
どういう目標であろうとも、きみの目標は、きみ白身を超え出たところに置かなければならない。しかも、過去の人間たちと連なる道の遥かなる果てに。
『生成の無垢』「ツァラトゥストラによせて」
『善悪の彼岸』
理想への道がモラルになる
自分なりに、なにがしかの理想は持っていたほうがいい。さらに、その理想
に至る道を若いうちに見つけていたほうがいい。
そうすれば、おのずと自分を律する気持ちが生まれ、そこから自分なりのモ
ラルと節操が形づくられ、まともに生きていけるからだ。きみは秘めている。
『生成の無垢』「道徳哲学」
脱皮し続けよ
かんなん
いっそ死を望むほど苦悶し、艱難を乗り越え、ついに古い自分から脱皮し、新たな闇と光を体験すると、自分というものがすっかり変貌してしまう。
そうなると、変貌をくり返してこなかったかつての友人たちが自分自身の古
い幽霊のように見えてくるものだ。友人たちの話し声がどうしても現実として
は聞こえず、まるでぼやけた影の声のように聞こえてくる。彼らが視野のごく
狭い青さに染まったままの自分の幽霊、子供じみた未熟さをとどめた幽霊のよ
うに思えてくるものだ。
裏返せば、絶えず自己超克をなしている人間はそれほど大きく変身をとげていくものなのである。
『人間的、あまりに人間的』 「さまざまな意見と箴言」
088
香り高い言葉を使え
香りや匂いには、よく調和するものと、どのように合わせても不調和になっ
てしまうものがある。
それと同じように、人が使う言葉というものもまたそれぞれに独特の匂いを
持っている。そして、うまく調和する言葉、不調和にしかならない言葉という
ものがある。
このことを知って、わたしたちは自分が使う言葉にもっと敏感になり、言葉
ぎんみ
をよく吟味し、いい香りを放つような使い方をすべきだろう。
『人間的、あまりに人間的』「漂泊者とその影」
9人は刻々と変わり続ける
人それぞれに性格というものがある。その性格は、生涯にわたっておおむね
わらないものだと思われている。しかし、たとえばその人間に八万年の寿命
があれば、その性格は変わり続けてやまないことだろう。
人の命がせいぜい数十年と短いから、その短期間のうちに外に表れた性向や
言動から、わたしたちはその人の性格というものをあたかも固定しているかの
ように見ているにすぎないのだ。
自分自身を振り返ってみれば、このことはすぐに思いあ
らば、ある人に対してはこの自分を見せ、別の人に逢ったときは別の言動をし
ているのだから。このように人は、日々
人ごとに、また機会ごとに、刻々と変貌しているのである。
『人間的、あまりに人間的』
1 生きるべき姿勢がわからないときには
きみは、何か問題があって不安を抱えているのだろうか。あるいは、自分の
生きるべき姿勢が見えた
いるのだろうか。
だったら、これまで自分が本当に信じてきた人をありありと思い浮かべてみればいい。
彼らこそ、自分の中の高みの一部であり、彼らの人としての姿勢こそ、自分
が近づいていくべき姿なのだから。
『生成の無垢』「心理学的な諸考察」
独創的な人とは
独創的な人とは、いびつで奇異なものを生み出す人のことではない。
もうみんなが飽きあきしたもの、古くさいからととっくに見捨てられたもの、
あまりにもふつうで誰もがあっさりと見過ごしてきたものらを、まるで未来か
らやってきた見知らぬ新しいもののようにとらえる眼と脳と感性を持った人のことだ。
『人間的、あまりに人間的』「さまざまな意見と箴言」
天才とは
人が天的才能と呼ぶものとは何のことか。それは血筋から忽然として隆起し
てくるものか。自然の気紛れが生む特殊な人間の才覚のことか。
いや、一つの意志。一つの行動。すなわち、高い目標を欲し、そこに達する
手立てをも欲すること。
『人間的、あまりに人間的』「さまざまな意見と箴言」
高尚な人間をつくるもの
誰もが一目置くほど、高い感性、繊細な感受性を持った高尚な人がいるもの
だ。彼はどのようにして? なれたのだろうか。
最初から自然にそうだったのだろうか。あるいは人一倍強い感性がそういう
人間をつくったのだろうか。
う。彼はその高い感性をみず
の努力でずっと維持し続けてきて今に
至っているのだ。
『善悪の彼岸』
121
才能を発揮させるために
天賦の才を持った人間は、その天才だけでは鼻持ちならない人物にすぎない。
彼が自分の才能を惜しみなく発揮するためには、あと二つのものを持ちあわ
せていなければならない。
その二つとは、感謝する心と、人間としての純粋性である。
『善悪の彼岸』
天才はきみとかけ離れた存在ではない
こうの人は自分をふつうだと思っていない。ふつう以下だとは決して本気
で思っていない。あまつさえ、何かの分野ではかなり優秀なほうに属すると
思っている。
それなのに、歴史上の圧倒的な天才に対して少しも嫉妬しない。なぜならば、
天才は一種の奇蹟の体現のようなものだと考えているからだ。つまり、人間的
にかけ離れすぎているというわけだ。ゲーテが「それが星ならば、人々は欲し
がらない」と言ったように。
しかし実際には、どの天才も猛烈で地道な努力の末に作品を創作しただけなのである。そこに奇蹟じみたものはない。そのあたりまえのことをふつうの人々は
想像できないのだ。
『人間的、あまりに人間』
真実の痛み
真実を知りたいか。だったら、真実を知ったときの痛みを覚悟しなければな
ない。しかし、真実が痛みを与えるのではない。なぜか。
人はみなそれぞれに、さまざまな事柄について信念を持っている。
これはこうであるにちがいないという抜きがたい確信を持っている。
その信念や確信を真実があっさりと破壊してしまうから、わたしたちは自分が
抱えてきた信念、あるいは自分が長く立ってきた足元が崩れ去る痛みを感じるのだ。
『生成の無垢』「認識論/自然哲学/人間学」
1. 哲学者の求めるもの
哲学者が欲しがっているのは、真理ではない。むしろ、世界の姿だ。世界が
どういう姿をしているのか、その輪郭をなぞってみたいのだ。
少なくとも、世界の中にある一つの事柄でも自分なりに解釈したがっている。
自分なりの解釈であるから、それはいつも擬人的な解釈や構成にな
いはまた、哲学者は事柄も世界も人間のようなものとしか見ていない
