私は、兼ねてから考えています。

私は、常に正しい事を行って来た!とは、申し上げません。しかし、職業的にも、このブログでも、自ら、悪事を働いた事は一切ございません。他覚的に見れば、どう見えるかは、自覚的には了解不能です。 訴訟、裁判制度にも意義は御座います。自らが揺るぎ無き、正義を行ない、それが、裁かれるとしても、弁護士も、検事も必要は有りません。私は、この事に、こう考え、こう行いました。それに対する判定はお任せしますし、それに従います。毒杯を仰げと言われれば、仰ぐ所存です。プラトンソクラテスの弁明に記されているが如く、私は、毒杯をあおるでしょう。悪法もまた法である、に従います。しかし、私は、私が正義と信じる信念は絶対に曲げません。そこで、曲げるなら、孫子の代迄の恥。先祖にも、亡き父にも、母にも面は挙げられません。従って、私は私の信念は貫きます。それが私です。