自分の道をまっすぐに進め マルクス・アウレリウス

Ⅷ 自分の道をまっすぐに進め マルクス・アウレリウス

<Ⅷ>


176
自分の人生を築くのに邪魔者はいない
行動の一つ一つをつうじて、君は自分の人生を自分自身で築き上げていかなくてはならない。 個々の行動を可能なかぎり、人生構築とい大きな口的の達成に向けることができるなら満足すべきだ。だれ一人として妨害することはできない。
「だが、なにか外部から邪魔が入るのでは...」
いや、ただしく着実に、思慮深く行動するなら、君の邪魔をするものはなにもないだろう。
「だが、ほかの行動が妨害されたとしたら......」
まあ、それはありうることだ。 そのときは、妨害そのものをこころよく受け入れて、自分に許されるほかの行動に転換することだ。 それができれば、たちどころに代わりとなる行動が目の前にあらわれてくるのであり、いま話題にしている人生構築にピッタリとあてはまるのである。
だから、なにも心配することはない。
(8-32)


177
執着せず思い切りよく手放す
傲慢になることなく受け取り、思い切りよく手放す心の準備をしておくこと。
(8-33)

178
仲間から離れてしまうのは利己的な人
手足や首が胴体から切り離されて、バラバラになった状態で地面に散乱しているのを見たことがあるだろうか?
自分の身に起きることに満足せず、利己的な行動をして自ら仲間から離れていってしまう人は、自分で手足や首を切ってバラバラ死体になるのとおなじようなことをしていることになる。 それはどういうことかというと、全体から部分を切り離すことになるからだ。つまり、君はおのずから一つになっている状態から、自分を切断してしまったことになるのだ。
(8-34)


179
人がいやがることは自分にもするな
自分で自分を苦しめるなんて、ただしいはずがないではないか。なぜなら、私は他人に対してすら、意図的に苦痛をあたえたことなどな
いからだ。
(8-42)


180
他人にやさしくすることは喜びだ
心を喜ばせるものは、人によってさまざまだ。だが、私にとっての喜びは、つぎのようなものだ。精神の司令部である理性が健全さを保
ち、他人をきらって背を向けたり、人びとに起こることから目をそらして知らないふりをしたりすることなく、あらゆるものを温かい日で
見て受け入れ、それぞれの価値に応じて活用すること。 これが私にとっての喜びだ。
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(8-43)


181
悪事は自分自身に対する不正行為だ
悪事をはたらく者は、自分自身に対して悪事をはたらいている。 不正行為をする者は、自分自身をおとしめることになるので、白分自身
に対して不正行為をしていることになる。(94)
あることをしたために不正行為となるだけでなく、あることをしないために不正行為となることもある。(95)

182
いまこの瞬間に満足する
べてに満足して不平を言わないこと。それで十分じゃないか。
いまこの瞬間に確信にもとづいて判断し、いまこの瞬間に自分の利益だけを考えずに行動し、いまこの瞬間に自分の外部で起こることす
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(9-6)


183
過ちを犯した人に寛大であれ
もし君にできるなら、過ちを犯した人に教えさとしてあげなさい。 だがもし君にできないなら、そういう場合にこそ、大口に見るという
態度も必要になることを思い出すべきだ。 神々もまた、そういう人たちには寛大であり、健康やカネや名声といったものを手に入れること
助けもする。神々は、それほど慈悲深いのだ。君にもそれはできるはずだ。誰が君の妨げとなるというのか?
(9-11)


184
なにごとにも動じない心をもつ
自分の外側で生じることには、動じないこと。
自分の内側から生じることには、公正さがあるように。
意思と行為は、社会的に行動することで完結するように。
なぜなら、君はそうするように生まれついたのだから。
(9-31)


185
人間の限界を超えることは神々に祈れ
神々にはまったくパワーがないのか、それともパワーがあるのか、そのどちらか一つだ。
もしパワーがないのなら、 なぜ君は神々に祈るのだ?
もしパワーがあるなら、なぜつぎのようにしないのだ?
「悪いことが起こりませんように」とか、「よいことが起こりますように」と祈ったりせずに、「自分が恐れるものを、いっさい恐れない
ように」、「自分が欲しいと思うものを、いっさい欲しいと思わないように」、「なにが起こっても悲しまないように」と祈らないのか?
もし神々が人間に協力できるとすれば、こういった願いごとは確実に叶えてくださるものだ。
「自分の力でなんとかなることは、神々は助けてくださらない」なんて、誰が言ったのだろうか。さあ、とにかく祈りはじめてみよう。
きっとその効果がわかるはずだ。
(9-40)

186
悪人がこの世に存在しないことはありえない
他人の恥知らずな行為に腹が立ったときは、ただちに白問してみるといい。
「恥知らずな人たちがこの世に存在しないなんて、ありえるのだろうか?」
いや、そんなことはありえない。だから、ありえないことなんか求めてはいけない。 その人もまた、 恥知らずな人びとの一人にすぎないのだから。
悪党やペテン師、その他あらゆる悪事をなす人に対しても、おなじように考えるべきだ。こういった人たちが、この世に存在しないなんてありえないと考えれば、その一人一人に対してはやさしい気持ちにもなるだろう。
(9-42)

187
誰一人として君の精神に害を与えることはできない
迷える者に対しては、おしえさとして行動を改めさせることはできる。 なぜなら、あやまちを犯してしまう者はみな、目標を見失って道
に迷っているのだから。
そのほか、君はどんな被害を受けたというのだろうか? 君が腹を立てている人たちのなかには、誰一人として君の精神をそこなうよう
なことをした者などいない。君にとって悪しきこと、害をあたえるようなものは、君の精神のなかにしかないのだ。
(9-42)


188
恩知らずを責める前に自分を責めよ
善悪の判断を欠いた無教養な者がしてしまったことに、いったいどんな奇妙で新奇なことがあるといえるのだろうか? そういう人が、
そういう風にあやまちを犯してしまうことを予期しなかった君のほうこそ責められるべきだと考えてみるといい。なぜなら君にあたえられ
理性の力でそう考えることができるのに、それを忘れて驚いてみせたりするからだ。
だが、不誠実で恩知らずだといって誰かのことを責めるときには、まずは自分自身を省みなくてはならない。つぎのように考えれば、あ
きらかに君が悪いからだ。約束は守るはずだろうとそんな人を信頼したことだけでなく、恩恵をあたえたことだけに満足すべきなのに、そ
こから感謝やなにか見返りを得ようとしたのだから。
(9-42)


189
人間は耐えられるように生まれついている
生じるものはすべて、もともと君に耐えられるものか、もともと君には耐えられないものか、そのどちらか一つだ。
もしそれが、もともと耐えられるものであるなら、不平を言うことなく耐えるべきだ。
もしそれが、もともと耐えられないものであっても、不平など言うべきではない。なぜなら、苦しさに耐えられなくなる前に、君はすで
に消滅しているからだ。
しかし、つぎのことは覚えておくとよい。自分のためになるとか、そうするのが義務だと考えるものであれば、自分の考え方ひとつで耐
えられるし、苦しさをやわらげることもできる。だからこそ、君はもともと耐えられるように生まれついているのだ、ということを。
(10-3)


190
よい評判を裏切ってはならない
善き人、慎み深い人、正直な人、思慮深い人、協調的な人、心が大きく広い人。君がそういう呼び名をもらったなら、名前を裏切らない
ように注意しなくてはならない。もし、そんな苦い名前を失うようなことをしてしまったら、すぐにでもその名前をとり戻さなくてはなら
ない。
「思慮深い人」というのは、個々のものごとを細心の注意と集中力をもって、ありのままの状態で理解しようとする人のことだ。「協調
的な人」というのは、自分に割り当てられた役割を自発的に受け入れる人のことだ。「心が大きく広い人」というのは、知性が快楽や苦痛
といった肉体の感覚を超えている人のことであり、さらに知性が名声や死など、 その種のものすべてを超えている人のことだ。
君が善い名前にふさわしい人でありつづけ、しかも人からそう呼んでもらいたいと思わなければ、君は別人となり、別の人生に踏み出す
ことになってしまうだろう。
(10-8)


191
自信をもって自然体で取り組め
おどけ芝居、戦い、恐れ、麻痺、東縛。こういった人生をとりまくさまざまなわずらいごとが寄り集まって、君がこれまで築き上げてき
た聖なる信念を日々消し去っていこうとしている。
だが、そうならないためには、君はなにを見る際にも、なにをする際にも、つぎのようにしなければならない。やらなくてはならない仕
事は実務的に処理しながら、同時に思考力も働かせること。 また、知識をもっていることから生まれる自信をもちつづけること。ただし、
その自信は、あえて見せびらかすことも、わざわざ隠すこともない。
(10-9)


192
自分の道をまっすぐ前に進め
なにをなすべきか、自分の力で探し求めることができるのに、なんで十分考えもせずにあれこれ想像したりするのか?
もしはっきりと見えるなら、ほがらかに自分の道をまっすぐ前に進み、引き返したりしないこと。
もしはっきりと見えないのなら、いったん立ち止まって、最適なアドバイスに耳を傾けること。
だがもし、行く手に立ちはだかるものがあれば、状況がゆるすかぎり、ただしいと思われるものを守りつつ、熟慮のうえ前進するのだ。
(10-12)


193
つべこべ言わずに実践せよ
善き人が、どんな人であるべきかなど、もうこれ以上論じてもしょうがないじゃないか。 つべこべ言わずに善き人になればいい。
(10-16)


194 執着を捨てよ
どんなことをするときにも、いったん立ち止まってこう自問してみること。
「これができなくなってしまうというからといって、死ぬのが恐ろしいのか?」
(10-29)

 

195
あらゆる障害は利用できる
あらゆる障害は、肉体に影響をあたえるにすぎない。障害に正面から向き合わずに回避したほうがいいという誤った思い込みや、理性がみずから障害に屈服してしまう場合をのぞいて、理性が障害に押しつぶされることも、その他どのような害も受けることはない。もしそうでなければ、障害を受ける者は、たちどころに悪化してしまうはずだ。
人間とはちがって構造物の場合、障害を受けると劣化してしまう。だが理性をもつ人間の場合は、障害を受けた状況をただしく利用することによって、さらに賞賛に値する人にもなるのだ。
(10-33)


196
なぜ自分はこれをするのか?
誰かがなにかをするとき、自分にこうたずねてみる習慣を身につけることだ。
「どういう目的で、この人はこれをするのだ?」と。
だが、この問いは、まずは自分に向けてみるべきだろう。
「どういう目的で、自分はこれをするのだ?」と。
(10-37)


197
社会のためにすることじたいが報酬だ
私は、なにか社会のためになることをしただろうか? もししたのであれば、すでに報酬は得たことになる。この心構えをつねに意識し
て、善いことをするのをやめないように。
(11-4)


198
「おなじ木で育っても、原則は違っていい」
これが教訓だ。
隣の枝から切り離された一本の枝は、木の全体から切り離されざるをえない。人間もまた、一人の隣人から切り離されたら、人間社会全
体から脱落することになる。枝にかんしていえば、枝ではない別のものが切り離すのだが、人間は隣人を嫌悪して背を向け、自分から離れ
ていく。 そのとき人間は、自分が社会全体から脱落したことを知らない。
だが、このような人間社会からの離反がたびたび起こると、ふたたび結びついて元の状態に戻ることがむずかしくなる。全般的にいって、
最初から木といっしょに育ち、呼吸をともにしてきた枝は、庭師が言うように、切り取られたあと接ぎ木された枝とはちがうのである。
「おなじ木で育っても、原則は違っていい」
(11-8)

 

199
心のなかでも不平不満はもたない
誰かが私を軽蔑しているとしよう。だが、それはその人の問題だ。私としては、軽蔑に値するようなことをしたり、言ったりすることを
人前でさらさないようにするに尽きる。
誰かが君を嫌っている? だが、 それはその人の問題だ。私としては、どんな人に対しても親切で
ても間違いを指摘してあげる点がある。 ただし、 非難がましい態度ではなく
その人に対し
あるだろうし、
していることを見せつけることはなく、正直でな
で指摘するのである。
心のなかはそうあるべきであり、不満足であったり文句を言ったりする姿が神々に見られてはいけないのだ。
(11-13)


200
見て見ぬふりをしてはいけない
悪いやつらに、他人に害をあたえないよう期待するのは狂気の沙汰。 それこそ、不可能を望むのとおなじことだ。
悪いやつらが他人に害をあたえるさまを見て見ぬふりをしながら、自分だけは例外だと期待するのは、どだい無理な話であり、 暴君のふ
るまいとしかいいようがない。
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(11-18)


201
人生の目的を明確にせよ
人生に首尾一貫した日的がなければ、首尾一貫した人生を送ることはできない。だが、これだけでは十分ではない。 人生の目的がどうあ
るべきかを明確にしておく必要がある。
世の中のすべてのものごとについて、善いことはなにかという共通認識など存在しない。 ただし、共通の利害関係については例外だ。だ
からこそ、私たちがめざす口的は、社会的に共通で、政治的に共通のものでなければならないのだ。
意欲のすべてをその日的に向けるなら、その人の行動は首尾一貫したものになるだろうし、またその人の人生もつねに首尾一貫したもの
になるだろう。
(11-21)

 

202
不得意なことでも習熟できる
たとえ達成不可能だと思われることであっても、習熟することが大事だ。
右手が利き手の人にとっては、ふだんあまり使わない左手は不器用なままだろう。
だが、馬に乗って手綱を握る際には、右手より左手のほうが力強く握っているはずだ。 それは左手が習熟してきたからだ。
(12-6)


203
総合格闘家を見習え
原則を適用する際には、剣闘士(グラディエーター)ではなく、総合格闘家のようであるべきだ。剣闘士は、剣はふだん鞘にしまってお
いて使うときだけ手にするが、総合格闘家は、いつでも自分の手を握りしめ拳にして使うことができる。
こぶし
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(12-9)


204
最後の瞬間まで輝きつづけよ
ランプの火は、燃料のオリーブオイルが切れてしまうまで輝きつづけるものだ。だが、君の内なる真理と正義と自制心は、君の生命の火
が消えてしまう前に、はやくも消えてしまうというのか?
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(12-15)


205
あやまちを犯した人は自分自身を責める
なにかあやまちを犯したような印象をただよわせている人がいたら、「どうして、これがあやまちだと私にわかるのか?」と白問してみ
るといい。
もしその人がじっさいにあやまちを犯していたとしても、「その人は自分自身を責めている。白分で自分の顔を傷つけているのだ」と考
えてみるといい。
(12-16)


206
全身全霊で正義を行え
不安のない人生を送るには、個々のものごとについて、素材がなにか、そしてどのような原因でつくられているか、そのすべてを徹底的
に観察してみることだ。 そして、全身全霊で正義を行い、真実を語ることである。
善いことを途切れることなくつづけて行うことで人生の喜びを知る以外に、いったいなにが残されているというのだろうか。
(12-29)
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