私の15年前、私は三重県こころの健康センターの所長であった。精神科医から、三重県庁職員となり、戸惑った着任当初は過去となり、自らの席も馴染んできていた。研修講演を三重県内、桑名から熊野まで、しまくっていた。最早パワーポイントセットはほぼほぼ完成。スライドを見ながら、原稿なくしても口が勝手に喋る様になっていた。思えば、既にクチタロウ再び発現だった訳である。父を亡くした。H15/4/17 12:32であった。荼毘に伏す前後、涙が留まらなかった。あんなにも憎んだ父であったのに。その後、一週間、学位、博士号取得のための公聴会であった。多分だが、割と堂々とこなしたと思う。やせ衰えていた。結果、博士号を得た。三重県庁、障害福祉課長が、私の取得祝に榊原温泉の三重県庁職員のための神湯館で一泊の祝賀宴会を開いてくれた。課長と私は呂律が回らなくなるなる迄呑み尽くした。勝組確定、幸せであった。