仏陀の言葉 111-120 コメント付

仏陀の言葉 111-120 コメント付です。

111
真の安楽を得るために
世の人々が安楽だと思っているものは、
それがなくなるときにはたちまちにして苦しみと化す。
たとえば、酔いの安楽 音楽の安楽 美味の安楽がそれである。
作った者が知る安楽はこういうものではない。
祈った者は、みずからの身が受けるいっさいの感覚を断ち切ることで、安楽を得る。
この安楽は、快楽でも苦しみでもない。
おのれが何によっても微塵たりとも煩わされることのない安楽。
透徹した無の安楽である。
「スッタニパータ」 第3章

真の安楽を得よ。

112
判断を放棄せよ
よい悪い、旨い不味い、美しい醜い、大きい小さい、遠い近い、強い弱い、等々、人は何事につけても価値をつけ、判断を下す。
しかし、それは正しい道ではない。
なぜならば、価値をつけられないものに価値をつけ、勝手に計っているからである。
よって、その価値にもとづいた判断も正しいものではない。
しかも、その価値と判断こそが人に苦しみをもたらす。
もう苦しみたくないのならば、づけをやめ、判断をよ。
そして、そのような濁りのない澄みきった世界で生きよ。
「スッタニパータ」第3章

価値判断を棄てよ。

113
老いからの脱出
心の解脱。 智慧による解脱。
よく見つめれば、何が苦しみの原因かわかる。
どのようなものが自分の心を揺すっているのかがわかる。
これまでの認識を、いっさいがっさい変えよ。
すると、 若いだの老いただのといったことはしょせんの迷いごとであることに気づくだろう。
そのときに、若いだの老いただの有るだの無いだのといった諸々のことが雲散霧消する。それこそ、老いからの脱出となる。
「スッタニパータ」 第3章

老いの認識の変革をせよ。

114
思惑が人を安らぎから遠ざける
人は思惑によって動かされている。
想像、期待、心配、取らぬ狸の皮算用がその人をあちらこちらへと動かしている。
また、他人の思惑をおもんぱかり、それによってもあちらこちらへと動く。
いっときも心が定まらない。 心は難破船のように揺れ動いてやまない。
そうして、何が真であるかを見失ってしまう。
「スッタニパータ」 第5章

思惑が安寧を妨げる。

115
悔いてはならない
鬱々としていたり、気持ちがふさいでいるようでは、とうてい悟りにする達することはできない。
だから、何があったとしても沈んだ気分にならないように。
また、過去の事を思い返し、くよくよと後悔してはならない。
反省や後悔もまた、白己の目覚めを妨げる強い執着にほかならないのだから。
「スッタニパータ」 第5章

悔いは執着であり、悟りの妨げである。

116
持たず待たず
必ずや苦しみを招く執着を離れるということは、自分が何かを持っていると思わないこと。
過去を振り返らず、過去に思いをはせないこと。
今においても何ものをも欲しがることなく、
未来においても期待や願いなどをいっさい持たないこと。
ましてや、戒律や解脱など考えたりもせぬこと。
そうして、ただ今の安らぎの中心に存在していること。
このようになったとき老衰も、死も消え去る。
「スッタニパータ」 第5章

執着が老い、死を思わせる。

117
祭祀供養する者たち
整備を行い、 行事を欠かさず、心に、奉献し、
犠牲を捧げる者たちがいる。
そういうふうにこれみよがしに心をしている連中は、自分たちの世間的な欲望にとらわれている者だ。
彼らはこの世での貪りを続けている輩だ。
彼らはこの道の者ではない。
この世に執着してやまぬのだ。
彼らは悟ることもない。
いっさいを超越することもない。
「スッタニパータ」第5章

祭祀供養は執着のあらわれで、悟りの妨げ也。

118
妄想が力を持つとき
心の中をふわふわと漂うさまざまな思い、
あらぬ想像には何の現実的な力もないと人は思っている。
それには影も形もないからだ。 ただいっときのとめどない思いにすぎず、それらはすぐに蒸発していくと思っている。
しかし、ひとたび財産や権力や物品を欲しがるようになると、
妄想が現実に力となって猛威をふるい、自分の欲望に激しい火をつける。
この火は燃え盛る。 我が身を焦がしてもなお燃え盛る。
この耐えがたい熱さ、この苦しみはえんえんと続く。
「スッタニパータ」 第4章

物欲は妄想を現実へとかえ、勢いを増す。

119
偏見は自己への執着
人は偏見を持ちやすい。
自分は偏見を持っていないと言い張る人でもなお偏見を持っている。
自分の考え方が正しいという偏見だ。
人が偏見を持っているのはわかるが、自分の偏見には気づかないものだ。
なぜならば、 多くの人は自分をよしとし、他よりも正しいものとし、自分の行いばかりか考え方までも好むからだ。
欲を棄てたと言い張る人ですら、自分自身を好み重んずるという欲が残っている。
偏見はそこを根として生え出てくるのである。
「スッタニパータ」 第4章

偏見は自覚し難い。

120
戒律にさえこだわらない
何か特定の思想こそ真理とし、他の思想をまちがったものとするならば、それは偏見である。 同時に、その特定の思想にこだわっていることになる。
わたしたちはさまざまなことを経験し、学び、考え、慣れたりするが、それらのうちの一つ、ないしはいくつかを重視して、よいものとしているならば、それもまた偏見が含まれたこだわりなのである。
この道を行くのなら、こだわりをてなければならない。
戒律や道徳にすらこだわってはならない。
何にも執着せずにおり、何か集団にも依存してはならない。
「スッタニパータ」 第4章

戒律や道徳にすら執着せぬこと。
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