淡い想い出の名残り 25

父方、祖母の思い出です。見たこともない人と結婚するために、故郷の家同士が決めた人の元に、植民地時代の台湾に行った人です。着いた途端にハゲチョロピンの爺さん(多分四十代後半の祖父、元陸軍伍長)を見て、えーっ、この爺ちゃんと結婚?だったらしいです。しかし、六人の子を作り、父は五番目、祖父56歳の子でした。六番目は、産まれて三ヶ月で亡くなったそうです。祖母はその後、暫らくは箪笥を開ける度に、涙が出て、動けなくなったらしいです。しかし、子供のオムツを洗ったことは一度も無かった事は書き込み済みですよね、縁側から捨てると、地元の人が持って行く、で新しいオムツを子に巻く。贅沢この上無し。しかし、終戦となり、なーんも無しで本土に帰り、処所の理由で大阪で暮らす事になりました。父の家族とともに五人で長屋で暮らす事になりました。私の両親、私と妹、祖母です。母が復職後、眉間の傷の頃は、一時期、妹と他所の家で預かってもらいましたが、あんまり、意地悪なので、結局祖母が面倒を見てくれました。

続く。