私の55年前 当然未明の自宅にて

3歳の私。妹ができていた。私の意図とは関係無く居た、これ当然。私は既に口から産まれたクチタロウであった。知恵袋も持っていた、知恵の実も食べていた。大阪市内のアパートであった。肥満体であった。アパートの噴水の鶴の首は私がもたれて、ポキッと折ったようだ、だから記憶にあるアパートの噴水の鶴は首から上が無い、これ当然、私が折ったらしいから。そこにもたれて雪印か明治の銀紙を剥いたバターをかじっている私の写真、今もある。バターをかじりながら喋り続けていた訳だ。一人で喋り続け、笑い近所のおばちゃん達からは、この子、オモロイなぁ!と可愛がられていたようだ、既に、喋りたおすモフモフ系であったのだろう?父は捕鯨船のドックの事務員であった。将来を嘱望されていたようだが、何れその会社は贈賄で潰れる、その事は父も母も私も、当然ながら、妹も知る由も無かった。この頃から、私は、月が好き、星が好き、天文学者になりたい事を語り始めていたようだ。