これって?まぁまぁ宮内庁管理やから
イザナギノミコト、イザナミノミコトは国創りの神。イザナミノミコトは先に逝き、黄泉の国へ。イザナギノミコトは黄泉の国に降りていった。会えて嬉しい!ではお帰りの時。では。で決してふりかえってはなりません!分かった。では。では。イザナギノミコトは地上に歩み始めた。しかし、亡き妻が恋しくてふりかえってしまう。骸となった妻は怒り、怒り、怒った!桃の実をイザナギノミコトに投げまくった。 とゆーことは花の窟の下は黄泉の国の筈。でも、NET検索してもそこ、全然ヒットしません。
『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊弉冉尊は軻遇突智(火の神)の出産時に陰部を焼かれて死に、「紀伊国の熊野の有馬村」に埋葬され、以来近隣の住人たちは、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったと記されている。当社では、それが当地であると伝え、社名も「花を供えて祀った岩屋」ということによるものである[2]。
神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれる[3]高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの[4]大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ[3]、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられている[4]。一説には、伊弉冉尊を葬った地はおよそ西1.3キロメートル先にある産田神社(うぶたじんじゃ)であり、当社はこの火の神である軻遇突智の御陵であるともいう。花窟神社では、伊弉冉尊の拝所の対面にある高さ18メートルの巨岩が、軻遇突智の墓所とされている[5]。
古事記や延喜式神名帳に「花窟神社」の名はなく、神社というよりも墓所として認識されていたものとみられる。実際、神社の位格を与えられたのは明治時代のことである。
今日に至るまで社殿はなく、熊野灘に面した高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)が神体である[2]。この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれ[3][4]、ともに熊野における自然信仰(巨岩信仰・磐座信仰)の姿を今日に伝えている。
2004年、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部(熊野参詣道伊勢路の一部)として登録された。