仏陀の言葉 121-130 コメント付です。
121
姿勢
学ぶにしても、 なんらかの利益や得を目当てにしないように。
何事かをなして、たとえまったく利益がなくても怒らないように。
過去を見ず、将来も見ないように。
望むことすらないように。
「スッタニパータ」 第4章
益を求めずに学ぶこと。
122
喜ばず悲しまず
懐かしいもの、古いものをいつくしんだり、喜んだりしてはならない。
同じように、新しいものに魅了されたり、眼を輝かせたりしてはならない。
また、滅びていくいっさいのものについて、それを惜しんだり懐かしがったりして悲しんだり、嘆いたりしてはならない。
何が起ころうとも、いささかも動じないように。
心を揺らさないように。
「スッタニパータ」 第4章
時とともにものごとは変化する事は自然。
123
信仰
信じることもまた執着。
自分の信仰すら棄て去れ。
「スッタニパータ」 第5章
全てを棄てよ。
124
よく眠るためにも
安らかに眠ってみたいと思うのか、
ならば、怒りを自分から離しなさい。
誰かに、何かに怒りを抱いていて、
どうしてすこやかに眠ることができようか。
わだかまり、腹立ち、悔しさ、苛立ち、それらが眠りを妨げる。
ゆっくり、ほっとしつつ、すぐに眠れるように、
怒りを手放してしまいなさい。
「サンユッタ・ニカーヤ」 第四篇第1章
怒りを手放しなさい。
125
持つことの苦楽
子供を持っている親は自分の子をもっともかわいいと思い、自分の子のことでたいそう喜ぶものだ。
しかし、まったく見知らぬ他人の子についてはそれほど喜ぶことはない。
このちがいには、自分のものであれば大切ですぐれているという偏りがある。
このような心は偏っているがゆえに、いつも揺れているしかない。
つまり、喜ぶ一方で、 失いはしないかという不安を持っているのだ。
そして、心が揺れることこそ、苦しみの最大の元凶である。
ならば、苦しまないためには、何ものをも自分のものとしない気持ちにならなければならない。
「サンユッタ・ニカーヤ」 第4篇第1章
所有するものは無いとしなさい。
126
形や色に惑う人々
どんなものにも色と形がある。形があれば、触れることができる。
生きているものならば声や鳴き声を発し、また多くのものはそれぞれの音を発する。
口にすれば味があり、嗅げばそれなりの香りがある。
ただそれだけのことなのに、多くの人はそれだけのことにとどめないのだ。
よい形だと心をざわめかせ、よい色だと魅惑され、
よい感触だと我を失ってしまう。
そして陶酔し、価値あるもの、失いたくないものだと自分の心を乱させてしまう。
自分のそういう思いが自分を苦しめるものをつくっているのである。
人生を苦しみで詰まったものにしてどうしようか。
「サンユッタ・ニカーヤ」 第4篇第2章
感触とて時とともに変化する事は自然也。
127
瞑想の神髄
瞑想においては、いっさい何も考えないこと。
もちろん、記憶すらも上ってはこない。
この深い瞑想を多くなせば、もはや自分において何も揺らがなくなる。
激流を渡りきったのと同じことだからだ。
「サンユッタ・ニカーヤ」 第4篇第3章
瞑想において無は大切。
128
怨みの種
怨みが少しでも残っているならば、根こそぎ刈って棄ててしまうように。
怨みは人をそこなう。怨みがわずかでもあれば、この道は行けない。
怨みはふだんの生活のほんのささいに見える思いや言葉からを根を張る。
「あいつが自分をののしった」「あの人がこんなことを言ってきた」「あいつが自分に勝った」 「白分はあの人に勝った」「自分はあいつをこう思っている」こういった思いや互いの言葉が怨みの種となる。
「ウダーナヴァルガ」 第14章
怨みは断つべし。
129
身内への執着
ほんのわずかであろうと、自分の親族や身内への執着、こだわり、気がかりが残っているならば、それは束縛されていることになる。
執着を断ち切るとは、愛着を断ち切るとは、そこまですることである。
そうしてようやく静けさに達する道を行くことができるようになるのだ。
「ウダーナヴァルガ」 第18章
身内への執着も断つべし。
130
自分の行を知れ
どうしていつまでも人のことにかかずらっているのか。
人を気にし、人の噂話をし、他人についてあれこれ言っているのか。
どうしていつまでたっても人のしたことしなかったことを気にし、他人の過去についてあれこれと喋っているのか。
ただ、自分の言行の正しさと不正をはっきりと見つめよ。
生きている間、善をなすよう努めよ。
あたかも多くの花で花飾りをつくるかのように。
「ウダーナヴァルガ」 第18章
自らを正せ。

