ふたすじの道 出会い

私は、加藤恵子、時は、明治30年、私は、4才の頃であった。私は長野県の名家の孫。両親は早く逝き、私は、母方、祖父母の元に引き取られた。当然、母の兄、英太郎様が、家長、おじさん、とその妻、栄子さん義理の伯母。母の実家は、私を温かく迎えてくれた。可哀想に、ちっちゃくして、両おやを失うとわのぅ!お父ちゃんお母ちゃんは、失ったの?帰って来ないの?祖父母は言う、帰って来るかもな!泣いていた。死ぬ?逝く?分からないけど、帰って来ない?お父ちゃん!お母ちゃん!私は泣いて泣いて泣きまくった。家にも村にも溶け込んでいった。家族も、優しかった。栄子おばちゃん以外は。おばちゃんは、この穀潰し!無駄飯食うてからに!誰も居らんとこでは、私をつねったり、はなおの先のゆびを踏んだり。辛かったけど、私は、学問とゆーもんを、目指した。祖父母も叔父も、そんな、私を歓び、頑張ってるなぁ、無理せんと、ご本も読んで、書字も覚えるのが、大事よ!はい、私は読書し、墨も剃った。やがて、春先に蓮華摘みをしていると、私は、同じ歳くらいの女の子を見つけた。名前は?常、大体皆はお常といーます。お嬢様。お嬢様?私は加藤恵子よ。けいちゃんと呼んでね、私はあなたの事、つねちゃんと呼ぶわ!お友達になってくれる?もったいない、私の様な、水呑み百姓の子が、お嬢様のともだちなど!つねちゃん?身分も長者も水呑み百姓も、今はそんなことゆーときとちがう!友達になろ!はい、お嬢様、いえ、けいちゃん。 つねちゃん!ありがとう。そしたら、西洋風に握手しようか?こうするのよ!手と手をつないで、上下に振った、二人とも自然に笑っていた。二人で蓮華摘みを続けた。

続く。